2011年3月18日金曜日

生と・・・。忘れられない1週間

 先週の11日の金曜に休みを取って田舎の親父を見舞いに行ってきた。その前の週にあの箕島の監督さんだった尾藤さんが、ガンで無くなったていた。背格好も小さくて親父と顔も良く似ているタイプの人で野球界では知らない人はいないだろう。最近ではあの箕島VS星陵のOB再試合でそれも去年は始めて甲子園で開催されたが、その時に闘病のせいで体が弱りベンチの階段も支えてもらいながらやっと、その甲子園のグランドに箕島のユニホームを着て立った時、あの人なつっこい顔をクシャクシャにして泣いていた。
 テレビであの状況を見た時に全てが伝わって来て泣いてしまったね。
本当に惜しい人を亡くしたけど、あれだけ沢山の人に別れを惜しまれるのは、大変苦労はされたと思うが、幸せだったのではないだろうか。と人事のように思う。
あの時の星陵のエース堅田さんは今は高野連の公式審判員でサラリーマンをしながら、球児達の為に審判として甲子園に帰って来ている。
あの神様が作った試合や、そんな事を考えながら、病院へ向かっていた

 親父は大正生まれで体は本当に元気だったが、以前から痴呆が進みいつも来る長男の顔も、もちろんたまにしか来ない僕の顔などは覚えていない。病床でマスクを付けて眠る親父を見て、生きながらも息子や孫が解らない・・・。これは幸せなんだろうか?と考える。
高齢化社会になって、この時代はこの様な状況は多分、沢山あるんだろうね。何年かしたら僕たちも同じような状況になるかも知れない。

 色々考えながら2時半過ぎに津に帰って来てテレビをつけると、何やらどこのチャンネルも同じ様な情景を映している・・・・。「え!地震?大津波警報? 」相当大きな揺れだったようでマグニチュードは8以上と言っている。けれどテレビを見る限りどこも壊れている様な様子は見えない。東京で屋根が崩れてケガ人が出ているとは放送していたが、ビルが崩壊している所はないようだ。
 「さすがに日本の建築は丈夫だね。これがよその国だったら倒壊だらけだろう」と思ってテレビを見ていたら、港の水位がグングン上がって来て、あの悪魔のような大津波が町中を呑み込んで行く・・・・。多分津波が無ければ、そんなに被害は無かっただろう。原発の事故もあそこまではならなかっただろう。
 地震は予想していてもまさか、これほどの津波が現実にあるとは誰も思っていなかったのではないか。スマトラの津波もテレビでは見ていたが、僕も10メートルの津波なんて、あの津波を見るまでは映画の世界だろう、と思っていた。
 避難所で家族を探そうとしている若い女の子が、「生きているだけでいい!」と言っていたのが、心に残る。

 この国家的危機に会社の工場も止まったまま。関連会社も沢山被害を受けている。けれどここでは電気もガソリンも何不自由なく使えている。
先日、警察や駅長さんに、募金活動の許可をお願いしに行ったら、学生達などが募金活動を行っていた。
僕らも野球が出来る事に感謝し、自分達に出来る事をしっかりやって行きたい。

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